私は離婚して5年がたちました。
2023年10月の誕生日を迎え48歳になり、50歳までのカウントダウンです。
そんな年齢ですが、ここ数日で転職することを決意し、次の仕事が決まりました。
離婚後、今までやったことのない仕事をしていましたが、結局美容師という資格と経験をいかす仕事に転職することにしました。
世の中人手不足の企業が多いですが、この年齢になると、なかなか仕事が決まらないという知人や友人が多いのは、年齢的な問題があるようです。
私がこの年齢で再就職できたのも、経験があったからに尽きません。
今思えば、色々転々とやってきましたが、やってきたことは、まったく無駄な事はなかったと思っています。
離婚もそうです。
モラハラ夫との生活は、お金の心配などすることなく、どちらかというと裕福な生活でした。
モラハラ夫は、自営の仕事もコンスタントにこなしてくれて、お金にはまったく困ることはありませんでした。
今思うと、モラハラ夫のモラハラだけに苦しんでいたのです。
モラハラ夫の機嫌で左右される生活の苦しさは、私だけではなく、子供たちにも悪影響だったことに気づいたのは、家を出てからでした。
あのまま我慢する生活を続けていたら、子供たちはどうなっていたのだろうと考えると、身震いするほどです。
家を出て落ち着いたころ、長男が、「あの時、生きている意味がわからなくて、死にたかった…」と話してきたのです。
モラハラ夫のモラハラは、子供たちの脳まで壊しかけていたのです。
お前は、食って寝てるだけじゃねーか!犬と一緒だな!
男のくせに音楽やって、ただのオタクじゃねーか!
三食昼寝つきで、お前は楽でいいなぁ!
誰のおかげでお前らはメシが食えてると思ってんだ!
思い出せばキリがないほどの傷つく言葉に、私と子供たちの自己肯定感はなくなっていたのです。
ではなぜ18年もの間、私は我慢をしていたのか…と今考えると、それは、モラハラ夫の機嫌が良い時もあり、とても優しい時があったからです。
気を使ってくれて、サプライズで欲しかったものを突然買ってきてくれたり、優しく接してくれたり、褒めてくれたりすることもあったからです。
長い年月の間、すべてが機嫌が悪い訳ではなく、優しくしてくれるときもあったため、たまたま機嫌が悪いのかなくらいにしか思っていなかったのです。
しかし、機嫌が悪い時の言葉は、ありえない言葉だったということに気づいたのは、相談できる友人がいるおかげでした。
モラハラ夫の機嫌に振り回され、私は突然泣きたくなったり、何もしたくなかったりと、これがずっと続くのか…私はどうなってしまうのだろう…本当はやりたいことがあるのに、無理だろ!などと言われることで、自分が無くなってしまう恐怖と絶望感に、このままだと私が私でなくなってしまう!
その時すでに自分がわからなくなっていたのです。
普通はこうだろ!やっぱりお前はおかしい!
などと言われるたびに、私が考えていることは間違えているの?どう思ったっていいじゃん、そんなの人それぞれじゃん!
と思うのですが、その考えはおかしい、やっぱりお前はおかしいんだ!と言われるたびに、私はおかしいのか、ちゃんとしなくては!と思っていました。
その度に、普通ってなんなの?と疑問しかわきませんでしたが、こんなことばかり考える日々に、私はだんだんと疲れ果て、考えることも言い返すこともしなくなりました。
その気力さえも無くなっていたのです。
私が言えば言うほど、倍以上になって暴言が返ってくるからです。
そして気力が無くなり、顔もたるみ、生気がない顔つきになっていました。
もう、どうなってもいいや、死んだっていいかな…とも思ったほどです。
このままでは居られない…自分がなくなってしまう…私の意識がまだある間にどうにかしなくては…と思いながら、どうしていいのかわからずにいました。
モラハラ夫が居なければ…と考えると、すごく楽かもしれない…
でも、自分の稼ぎだけで生活できるかな…
今の生活レベルの生活はできないだろうな…
かなりキツイ生活になるだろうな…
こんな風に考えていました。
でも、その心配の裏には、
ご近所にどう思われるかな?
ママ友に、どんな風に思われるかな?
子どもは学校で可哀想と思われるだろうな…
結局私は、人にどう思われるか、どう噂されるか、そんなことを気にしていたのです。
他人からどう思われるかを優先してしまい、自分を守るためのことができずにいたのです。
それはすべて私のプライドと見栄だったのです。
それらを捨てられなかったら、今の私はありません。
きっと、同じ苦しみをずっと繰り返し感じながら過ごしていたでしょう。
ひとりで深い闇を抱えながら生活していたかもしれません。
本当にツラい数年でした。
それまで私は、ずっと我慢し、恥ずかしくて人に話すこともできませんでした。
話せるようになるまでには時間がかかりました。
では、どうやって、そのプライドと見栄を捨てたのか?
それは、断捨離からでした。
モラハラ夫の物以外は、すべて必要最低限にしたのです。
スッキリしたリビングと寝室、そして子ども部屋まで、必要ない物をすべて捨てました。
すると、モラハラ夫のガラクタの山だけが残ったのです。
20畳ほどの部屋が、モラハラ夫のガラクタだらけになったのです。
それを見た時、物を捨てられないモラハラ夫ごと全て無かったら、どんなにスッキリするだろう!と思ったのです。
そして私は仕事をしっかりしよう!モラハラ夫くらい稼いでやろう!と決心しました。
それから私は、人に恥じずに自分をさらけ出すことができるようになり、友達や親にすべてのことを話せるようになったのです。
きっかけは色々ですが、あなたがひとりで悩みを抱えている原因は何かを追求してみて下さい。
案外くだらないことだったりするものです。
ひとりで悩んでいても、なかなか解決まで辿り着かないこともあります。
時間を有効にしなければ、あっという間に老いていくだけです。
世間の風は、暖かかったり冷たかったりします。
年齢という壁にぶち当たり、我慢をする選択をせざるを得ない人たちを、私はたくさん見てきました。
不思議と、そのような人たちは、だいたい負け惜しみのようなことを言うのです。
だけど、本人達はそれを負け惜しみだとは思っていないのです。
みんな、自分が正しいと思っているからです。
そう思わずにはいられないからなのかもしれません。
世の中には二種類の人たちがいます。
自分に正直に生きる人と、自分に嘘をついて生きる人です。
あなたは今どちらでしょうか?
ハッキリ言えることは、後者にはなってはいけないということです。
それを教えてくれるのは、意外にも他人ということを、あなたは知っていますか?
人は自分がしていることが正しいと思ってやっているのです。
だって、間違えていることがわかっていたら、やらないですよね?
仮にもそれが自分を守るためにしていることでも、他人からしたら、あり得ない事があります。
それらをやっている本人は、それに気づかないからそうしているのです。
他人から、それは違うよ!と教えてもらわないと、その人はずっと間違えた生き方をしていくことになるのです。
それすらも気付いていない人たちは、やはり孤独なのです。
充実したフリをしているだけなのです。
昔の私は正にそれでした。
外では何もないかのように充実感を漂わせ、家ではモラハラ夫に暴言を言われ孤独に泣く日々でした。
誰にも話すことができず、誰も教えてくれず、プライドと見栄のせいで、他人の目を気にして動けずにいました。
でも、今は違います。
なにかあれば聞いてくれて、アドバイスをくれる親友もいます。
困った時は助けてくれる親や友達もいます。
間違えた考えも正してくれます。
アドバイスをもらい、それを自分に落とし込み、決断することができます。
マイホームは、いつも助けてくれる親友からの助けと、更に自分の考えをしっかり分析して決断できたことです。
私は今、迷うことはありません。
転職もすんなりできました。
正直に生きると、必ず良い方向へ向かうものです。
自分に重い鎧を身につけなくても、正直でいれば、あなたはモラハラという足枷を外すことができるのです。
今のあなたは自分に正直に生きていますか?
今の自分を変えたい方はぜひ読んでみてください。自由になるための自己啓発!感じるだけで自由になれる幸せの12ステップ!あなたの未来はあなたが作るのです。