モラハラ離婚の最後の壁

 

 

 

 

あなたはモラハラ夫と離婚の話を何度してきましたか?

 

 

私も何度したか覚えてないくらいしてきました。

 

 

 

 

『もう家を出て行く!』

 

 

『出て行けばいいだろ!せまいボロアパートにでも住めばいい!』

 

 

ニヤリとバカにしたような顔で言ってくるのです。

 

 

数日後…

 

 

『お金は大丈夫なのか?仕事はどうするんだ?子供の学校は大丈夫なのか?養育費払ってやるぞ!いくら必要?どこに住むんだ?』

 

 

急に心配したように優しく話してくるのです。

 

 

『そうか、お前の好きにすればいいよ。でも、子供にまだ手がかかるし、仕事も大変だろ?大丈夫か?無理に出ていかなくても、ここにいてもいいぞ!俺が出ていってもいいし、それか俺があまり顔出さなきゃいいだけだろ?』

 

 

モラハラ夫は私に気をつかい、仕事から帰ると自分の部屋へ直行し、あまり顔を合わさないようにしてくれたりする期間がありました。

 

 

その時はとても平和な時間なのです。

 

 

そして、そんな風に考えてくれてるなら…なんて、私の怒りもなくなり、普通の生活ができるようになってしまうのです。

 

 

でも、モラハラ夫はその孤独感が怒りに変わり、急に怒鳴りこんできます。

 

 

きっとひとりで色々考えていたら、イライラしてきたのでしょう。

 

 

『昔の男のところにでも行って話してみろよ!援助してくれるんじゃねーの?一回股でも開けば金出してくれるだろ!』

 

 

どこまで人をバカにすれば気がすむのか、そんなことをいきなり言われて、呆れて言葉が出ず涙がポロポロと流れてくるのです。

 

 

するとモラハラ夫は、ごめんごめんと私を引き寄せ、ぽんぽんしながら、

 

 

『大丈夫だよ、追い出したりしないから…』

 

 

そんなことの繰り返しをずっとずっとしてきました。

 

 

きっと、私のことをバカな人だなぁ…と思ったかもしれませんね。恥

 

 

モラハラ夫の機嫌のムラに振り回されていた私ですが、私は色々計画を立てていました。

 

 

今思うと、その計画も大雑把すぎて、全然予定通りにはいかなかったのですけどね。笑

 

 

モラハラは、DVのように殴る蹴るなどはないですが、言葉の暴力です。

 

 

そして、よくDVの話で聞くのが、殴ったあと、本当にごめん悪かった、俺はお前がいないとダメなんだよ…なんて泣きながら言っているドラマなどでもよくやっていましたよね。

 

 

でも、それって、モラハラ夫も同じことをしています。

 

 

ひどい言葉を大きな声で言い放ち、泣く妻をヨシヨシしながら、ごめんごめん大丈夫だよ、ちょっと冗談で言っただけだよ!なんて言います。

 

 

しかも、冗談でも言ってはいけないような言葉を言ってきます。

 

 

そんな言葉を聞くたびにモラハラ夫の人格を疑ってしまいますし、他人なら人として最低な人です。

 

 

夫婦だから言ってもいいということではないのです。

 

 

なぜなら、所詮、夫婦と言っても他人だからです。

 

 

離婚話やケンカのときは、それの繰り返しでしたが、白黒つけられなかった私は、その優しさだけでズルズルと夫婦を続けてきたことは確かでした。

 

 

42歳で私は、このままここに居ても自分のやりたいことはできない、そしてずっと我慢しながら生きていかないといけないんだと思ったとき、全てのネジが外れたようになりました。

 

 

もう、モラハラ夫の言いなりや、ご機嫌とりはウンザリ、自由になりたい!という思いが強くなったのです。

 

 

そして、また離婚話になったとき、モラハラ夫のあの優しさがきました。

 

 

その時の私の覚悟は本気だからこそ、そこまで言ってくれるなんて…と一瞬モラハラ夫が可哀想かな…と情が湧き上がってきました。

 

 

でも、また同じことの繰り返しになるんだ!とグッと情という感情を押し殺し、その優しさを拒否しました。

 

 

そして、家を出たのです。

 

 

今どんなに憎んでいても、恨んでいても、大好きで結婚し、子供ができて一緒に喜んだり、幸せだった頃もあった18年間の事実の中には、大好きだったときも、楽しかったときもあったのです。

 

 

やはり、長い時間一緒に居た事実の中の良かった思い出が情として出てくるのです。

 

 

それをどうやって振り切ることができるかが、離婚の最後の壁なのです。

 

 

離婚は紙切れ一枚出せば済むことですが、感情はそうはいきません。

 

 

情という感情を乗り越えることができたとき、あなたが本当に自由になる瞬間なのです。