モラハラ夫の足音が聞こえるだけで心臓がバクバクするようになっていました。
扉を閉める大きな音は、ビクッと肩をすくめるようにもなっていました。
もう、自分が普通ではなくなっていることに気づきました。
早く試験に受かり、無事研修を終わらなくては…そして、お給料をもらえるようにならなければ…
私は毎晩勉強しました。
涙でにじむ文字を見ながら問題集を必死に読みました。
つづき
↓
毎日の研修と勉強に、家に帰れば盗聴や監視されているようで私の居場所はなく無駄な話も出来ない状態になっていました。
友達は心配して電話をしてきてくれますが、どこで聞かれているかわからないので、話したいことが話せない状態から、相手もそれを察した話し方をしてくれていました。
この状況は異常な状況であることを感じていましたが、そのときはまだ家をでることはできませんでした。
仕事が決まるまでは…と我慢をしながらたえるしかなかったのです。
毎日ゆっくり寝れない状況でした。
精神的にも体力的にも私のからだは悲鳴をあげていました。
また試験は無事突破しても、お給料はまだもらえませんでした。
それは当然ですが、お給料日まで待つしかありませんでした。
モラハラ夫は、通帳やら保険証券やらを俺がすべてやるからよこせ!と言ってきました。
私はゴソゴソと通帳や印鑑、保険証券などをすべて出しているとき思ったのです。
お金を貯めるために私はすべて保険にしていました。
でも、その名義はほとんどがモラハラ夫の名前にしていたことに後悔しました。
悔しい…
それらはすべて私が決めてせっせと貯めていたものです。
家計簿もきっちりつけながらコツコツ貯めていたものです。
これ、全部わたさないといけないのかとモラハラ夫に聞きました。
モラハラ夫は、はぁ?半分よこせってことか?いいぞ!財産全部半分にしてやるよ!財産半分ってどういうことだかわかるか?家のローンも全部半分にしてやるよ!と言ってきました。
アパート代とこの家のローンの半分とお前払えるのか?払えるならいいぞ!
もう、こうやって話すことが嫌でした。
結局、モラハラ夫のペースにのまれてしまうのです。
そうやってもいいぞ!でもそうしたらお前はこうなるぞ!いいのか?いいならそれでもいいぞ!
それが本当にそうなるのかも私にはそんな知識がなかったのです。
私は無知だったのです。
ああ言えばこう言う…の繰り返しに私は疲れていました。
私が言い返せば、それ以上の仕返しがくるのです。
最後は、その話から関係ないことを理由にし、お前がそうしたんだろ!お前が悪い!と最後はすべて私のせいと言われるのです。
もうそれに疲れていました。
結果私はお金をすべてモラハラ夫にわたしました。
ゆういつ学資保険だけは私が契約者になっていたため、それだけは救いでしたがお金やこれからの収入などのすべてはモラハラ夫の通帳にあるため、それをわたしてしまったことにより私の手持ちのお金のみとなってしまいました。
それからモラハラ夫は私に生活費を入れてくれなくなったのです。
買い物もできない日が何日か続きました。
家にあるものを少しずつ使い食事を作りました。
もう限界だ!冷蔵庫が空になるほどまでになったころ、私はお金が無さすぎて動けなくなっていました。
私は塩おにぎりでも何でもよくても、子供にはごはんを食べさせてあげなければいけません。
でももう食材もない…どうしよう…と仕事に出たモラハラ夫に電話をしました。
着信拒否されていました。
もうこれ以上無理だ…とどうすればいいか、誰でもいい!誰か助けて…とスマホで検索してみました。
市役所にはそういう相談窓口があることを知り、市役所の人権課に電話をしました。
旦那が家にお金を入れてくれないと…怖くて話ができないと…話しました。
電話で受付の人からカウンセラーの人にかわりました。
涙がぽろぽろ流れました。声をつまらせ少し話をすると、とにかく一度市役所へ来て下さいと言われ、研修が終わった後に市役所へ向かいました。