私はモラハラ夫の所有物ではない!不倫妻になった私 6

仕事の休みの日は、友達や母と予定を入れて家にいないようにしていました。

 

 

とにかく家に帰りたくなかったのです。

 

 

 

 

続きです

 

 

 

仕事があると言えばモラハラ夫が休みだろうが、家に居なくてすむので、とにかく仕事へ出たかったのです。

 

 

私は仕事を増やしました。美容室を掛け持ちでパートをするようになりました。

 

 

新しく始めたのは、小さな個人店美容室で朝から午後まで働き、家に帰って夕飯を作り、小学生だった下の子が帰ってきてからおやつや宿題をやらせて、もともと働いていた夜までやっている大手チェーン店といわれている美容室へ行っていました。

 

 

 

 

チェーン店は昼間のパートさんはたくさんいるため、お店と自宅が近かった私は夕方から出勤の夜番として働くようになりました。

 

 

その方が時給もよく、社員が少なかった会社としても助かるということで、ラストまで働いてくれることにとても感謝されました。

 

 

夕方には、高校生の長女と長男が帰ってくるので、ご飯は子供達だけで食べていてくれました。

 

 

 

 

 

そして私は職場へ行けば、私を心配してくれて話も聞いてくれる人がいることで、私は仕事へ行くことが楽しくなっていました。

 

 

ブランクのある私は、自分の技術も上がることの楽しさを知り、メキメキ仕事ができるようになりました。

 

 

 

 

それを教えてくれたのも彼でした。

 

 

私は夫も子供もいる身ですが、彼にも妻子がいました。

 

 

私より若かった彼は奥さんもとても若い方で、子供も小さかったのです。

 

 

私達は仕事の話をよくしていましたが、いつのまにかお互いの家庭の不満を話すようになっていました。

 

 

仕事が終わった後の彼の一服に付き合い、私は彼とたくさん話すようになりました。

 

 

家に帰りたくなかった私は、帰りたくない!と口癖のようにいつも言っていましたが、遅く帰るとなにしてたんだ!と言われるので、いつもしぶしぶ帰っていました。

 

 

仕事の帰りが少しでも遅くなると、遅くね?なにしてた?とニラむように言われました。

 

 

美容室なので、残業は多々あります。

 

 

でもモラハラ夫に残業など通用しませんでした。パートだから、時間で上がれて当たり前という頭なのです。

 

 

パートの時間が過ぎていても、自分がお客様の髪を切っている最中に帰れるわけがありません。

 

 

またもうすぐ帰る時間だけど、お待ちのお客様が多い場合は私が一人でもカットに入れば、みんなも早く帰ることができるので、いつも残業していました。

 

 

私としては、早く家に帰るのが嫌だったという理由の方が妥当だったかもしれません。

 

 

パートという仕事の残業にモラハラ夫は、そんなのおかしいだろ!時給なんだから、時間で帰れて当たり前だろ!と言うのです。

 

 

そうです、当たり前です。ただ私は家に帰りたくなかったからわざと残業して帰っていたのです。

 

 

事情を話すことも面倒になっていた私は、遅くなってごめんなさいと言わざる追えない状況でしたが、話をしていて遅くなっていても残業してきたと嘘をつくようになりました。

 

 

そのうち、営業後のアシスタントの練習モデルになってあげたり、彼の髪を切ってあげたり、私の髪を切ってもらったりと、帰る時間が遅くなっていきました。

 

 

モラハラ夫は、私がご飯を作ってあるにもかかわらす、私が帰るまで何もせずにリビングでゲームをしているのです。

 

 

そして、私が帰ってきた途端、メシ!と言います。

 

 

作ってあるのだから、自分で食べればいいのに、食べていないのです。

 

 

レンジで温めるだけにしていても、それをやらずに、メシ!と言って私にやらせるのです。

 

 

私が仕事をして忙しくしていることにイライラしているようでした。

 

 

 

 

 

 

私がなぜ仕事をするようになったかというと…

 

 

下の子がまだ小さな頃の出来事からでした。

 

 

体を売って稼いでこい!といわれてから、私はずっと美容室で働いています。

 

 

 

この話はこのページにあります。
モラハラ夫の嫉妬とゆがんだ愛情の真実

 

 

私は体を売って稼いでこい!と言われていたのです。

 

 

体を売って働くことができない代わりに、私は美容師復帰をしました。

 

 

そして、収入が入ってくる通帳とカードをモラハラ夫に預けました。

 

 

月4〜5万は入るはずだから、2年で100万にはなると思うからと言い、私はモラハラ夫に通帳をわたしたのです。

 

 

 

 

 

 

 

私は奴隷でした。

 

 

やってもいないことをやったと言われ、俺のプライドを傷つけた代償を体を売って稼いで金を払えと言われた私は、本当に体を売って稼げるのかを調べたりもしていました。

 

 

今思えばアホな話です。

 

 

年齢的にもありえない話であり、すべてがありえない話です。

 

 

働かず家にいることで、チクリチクリと嫌味を言われる日々でした。

 

 

しかも私が覚えていないような過去のことまで言われるのです。

 

 

お前はそんなんだから、やっぱりおかしい!

 

普通じゃねーからな!

 

 

と何かあるごとに、この話に結びつけ嫌味を言うのです。

 

 

モラハラ夫の顔を見るだけで、今日は何を言われるのかと心臓の音が耳にまで聞こえるような感覚でした。

 

 

モラハラ夫が帰ってきた途端に、私は椅子から立ち上がりソワソワと動き、キッチンを片付けたり、トイレ行ったり、必要のない行動をするようになっていました。

 

 

その時は、まだ下の子も小さく、私も専業主婦でしたので、働かなくてはいけないけど、幼稚園入園前で働くに働けない状態でした。

 

 

そして、幼稚園に入園し、すぐ働き始めたというわけです。

 

 

働いてせっせとお金をモラハラ夫へ流していたというわけです。

 

 

それから数年は幼稚園のお迎えまでの数時間から働き、下の子が小学生になり落ち着いてから仕事の時間を増やしていったのでした。