私は、モラハラ夫と一緒にいることがツラかった。
長い年月の間たくさん罵倒され、お前はおかしいと言われつづけました。
納得のいかないモラハラ夫の言葉に対して、私はなにが正しいかさえわからなくなっていました。
18年という長い結婚生活は、楽しかったことや嬉しかったことがあったのだと思います。でもあのツラく苦しい時の記憶の方が色濃く残っているため、楽しかったことなど覚えていません。
大好きで結婚したはずが、なぜ支配されるようになったのかは、今はよくわかります。また今思うと結婚前からモラハラはあったことは確かでした。
私の判断がただ甘かっただけなのです。
じゃあ、結婚しなければ良かったじゃないか!と言われるかもしれませんが、もし結婚していなければ、今いる子どもたちと出会うことはなかったのです。結果はどうあれ、私は結婚して良かったと思っています。
結婚したら、子供が生まれたら、モラハラ夫は変わってくれるだろうと、ずっと甘い期待をしていました。
でも、その期待はまったくの期待はずれでした。
モラハラ夫が変わるどころか、モラハラはエスカレートするばかりでした。
長女が生まれ、そして長男が生まれました。年子でした。
そして、私はまた妊娠してしまったのです。
もしこの子が生まれたら3人年子になるとモラハラ夫に言うと、モラハラ夫は、無理だろ!おろせ!と言ったのです。
私は逆らうことができませんでした。
仕方なく3人目を中絶しました。
長女と長男が幼稚園になった頃、私は美容師として仕事復帰しました。
そして、また妊娠しました。でも流産でした。
初めての流産にショックで、これはバチが当たったんだ…とつぶやくと、モラハラ夫は、血相を変えて、はぁ?なにがバチだよ!ふざけんじゃねー!と怒鳴られ、私は殴られるかと思い肩をすくめ目をつぶりました。
殴られはしませんでしたが、その大きな怒鳴り声に心臓がバクバクして涙が溢れていました。
それから何回流産したでしょう?
最近、多産DVとはよく聞きますが、私もそれに近い感じだったのかもしれません。
避妊をしてくれることはなく、すぐ妊娠して流産となるのです。
これは神さまからの天罰なのかと思うくらいでした。あの時中絶したから…と私は後悔ばかりしていました。
そして、もう1人は生みたい!と思うようになっていました。
産婦人科の看護師さんから、ご主人に避妊をしてもらえないなら、ピルやリングを考えた方がいいと言われました。こんなに麻酔すると体に良くないから…と心配されました。
でも、こんなに流産するのはおかしいと思っていた矢先、また妊娠していたのです。
検査薬が陽性だったので病院へ行くと、子宮に赤ちゃんがいないと言われました。でも遅れてお腹に入る場合もあるから2週間後また来てと言われました。
そして、その2週間の間にお腹がチリチリ痛くなってきたので、再度病院へ向かいました。
診察をしてもらいましたが、やはり赤ちゃんは子宮にいないといわれました。そしてお腹の痛みを訴えると、ちょうどその日は大学病院の専門の先生が来てるからと言われ見てもらうことになりました。
大学病院の先生はすぐ見つけたのです。卵管に卵のようなものがある!と…
そう!子宮外妊娠だったのです。
そして手術の説明を受け、入院の予約をしました。
何度も流産のあげく、子宮外妊娠て…
もう私は何度麻酔をしないといけないのだろう…やっぱり天罰だ…と思いました。
入院の日まで、日に日に痛くなるお腹を抱え大学病院へ着いた時には、歩く振動で痛みがお腹に響き、診察台に上がる台に足を上げられないほどお腹が痛くなっていました。
看護師さんに足を持ち上げてもらいながら、やっとの思いで診察台に上がるほどでした。
そして病院の中では、手術の日まで車椅子生活でした。
2週間の入院でしたが、その間モラハラ夫は着替えを届けに何度か来ました。心配の言葉はなく、お前がいないから俺は洗濯も全部やってアイロンかけて、めっちゃきれいにたたんでさ!おれ、お前より全然家事できてるぞ!と言うのです。
私は、はぁ…と、ため息まじりの苦笑いしかできませんでした。
退院して家に帰ると、そのたたまれた洗濯物は、タンスにしまわれることなく、床にたくさん並んでいるのでした…汗
その後、6年越しで3人目は無事お腹で成長し、生まれてきてくれました。